急な総選挙を目前にして「リベラル “liberal” 」という言葉を頻繁に耳にすることになりました。これは、民進党議員の中の希望の党に迎合(?)せず、または排除(?)された方々を連ねて枝野氏が立ち上げた「立憲民主党(The Constitutional Democratic Party of Japan)」を枝野氏ご本人はじめ報道が「民進党リベラル派」と称しております。

元来、このリベラルという言葉は、古くラテン語から起因しており、17世紀の欧州の動乱を経て生まれた政治的スタンスを意味する言葉です。”Liberalism” 「自由主義」であり、”Liberty” は「自由」を意味し、日本人にとっては “Freedom” の方が馴染みやすいと思いますが、「自由の女神」は “Statue of Liberty” であります。

現在、このリベラルという政治的意味合いについて色んな識者が云々論じておりますが、私、個人的な見解を少し申し上げたいと思います。

先ず、日本においての表現には「保守・革新」「右派・左派」「保守本流・保守リベラル」などというものがあって、自民党であっても旧社会党であっても、また共産党であっても、一時期「中道」という表現がされたことがありそれらの政治思想をもった方がリベラルと自称されていたような気がします。

自民党が「保守」”Conservative” とされた時期、その他の政党は「革新」で”Liberal” でまとめられていたように感じます。実際、私が1976年に米国で体験した民主党のカーター大統領の登場の時、それまでのニクソン・フォードの共和党体制を「ウオーターゲートを引き起こしベトナム戦争敗戦した」悪しき “Conservative” と評し、J.F.ケネディ以来選挙で勝ったカーター大統領をリベラル大統領と評しました。ただし、同大統領は、非常に保守的なジョージア州前知事でご本人も見るからに保守的な方でありましたが・・・因みに、英語的には “Conservative” に対峙する言葉はリベラルではなく、”Progressive” 「進歩派」であります。

そこで、私は高校時代の経験を思い浮かべざるを得ません。当時私の暮らす福岡県北九州市は知事も市長も社会党からの選出で、言わば全国的に見ても革新県政・革新市政でありました。そのような中で私は一学生として運動会の主催の立場で「日の丸国旗掲揚」と「国家斉唱」を計画したことに対して学校側(正式には県・市の日教組)から激しく阻止されました。また、校歌の三番に「御国のために雄飛せん!」という言葉の斉唱も禁じられ、高校三年生の私はこれらのことに激しく抵抗したわけであります。

高校生の私に特段政治的な意思があるはずももなく、今思えば、あれは「私のリベラルな行動」であったわけです。つまり、私にとってのリベラルという観念は、「反骨精神」”Rebellion”、 そのもの以外何ものでもなかったように思います。そのような意味では、今日、とある政治家やメディアの識者がのたまわるリベラルの意味が理解できません。