私が初めて米国の地を踏んだのは、1976年7月4日、奇しくも「独立記念日」(” Independence Day “) しかも「アメリカ合衆国建国200年」(” bicentennial “ 因みに100年目を ” centennial ” と言い、1000年刻みは ” millennium “) でした。当時、1ドル=300円を超えておりましたので大事な所持金の10万円は300ドルちょっとにしかなりませんでした。

100ドルで友人から1955年製のアメリカン・モータース(AMC) のステーションワゴンを譲り受けて、また、当時のガソリン価格は1ガロン(3.8リットル)27セントと日本の価格の1/4程度、大学内のポストオフィスと図書館でバイトが出来、週に20ドル程度戴くことも出来ました。

その頃の米国の雰囲気はと言いますと、長く続いたベトナム戦争が前年の1975年に終結し76年の大統領選で「平和の象徴」として民主党のジミー・カーター大統領が誕生しました。多くの大学でも従軍した若い志願兵たちを見かけることも多く、当時の米国の若者は全般的に内向き思考であった反面、海外から多くの留学生が押し寄せる時機にあったと記憶しております。殊更、東海岸の多くの大学にはイランからの留学生で溢れかえっておりました。それはパーレビ政権崩壊を恐れた富裕層の子息たちが資産持ち出しを前提に米国へ流れ込んだわけで大学の駐車場にはロールスロイスやベントレーが並び学生寮にはペルシャ絨毯が敷き詰められておりました。

それから数年後、1979年にイラン革命が起こり、「新生イラン国」を共産革命と捉えた中国が世界で一番に承認してテヘランから北京へ航空機が飛び、何故か、日本は2番目の承認国となって北京経由で成田にイラン航空が繋がり1980年以降多くのイラン人が流入することになりました。ダルビッシュ有のお父上もその頃の方かも知れませんね?